ルールは破るためにあるもの?
確かに世の中にはおかしなルールもあります。
時代によっては価値観の変化に合わせて変えていかなければならないルールもあります。
ルールは守ることを前提に作られますが、確かに「ルールを守ることが本質」ではない場合もあることは確か。
ルールは必要に応じて変えていくものです。
「破る」という意味が「傷つけて壊す」のではなく「従来のものに代わって新しくする」という意味もあるということを踏まえれば、
「ルールは破るために作られたもの」という言い方も当てはまるかも。
渋谷ハロウィーンでの条例と身勝手な論理
渋谷でハロウィーンがお祭りのように盛り上がるようになって多くの若者が集まり、一部の人が迷惑行為や暴力行為などで逮捕者が出るまでになり大きな問題になっていますね。
去年の渋ハロでは、軽トラックを横転させるなどの行為が一部グループからあり、注目されました。
今年は、渋谷区長が1億円を投じて対策にあたったとか。
そのおかげか、去年よりは逮捕者も少なく(去年14人、今年9人?)で大きな問題はなかったなどの報道でした。
馬鹿な人たちを取り締まるのに、渋谷区が1億の税金を投じる価値があるのかなどの批判も出ていましたが、一定の効果はあったのかもしれません。
地元の商店街や飲食店の方々はハロウィーン期間中は売り上げが激減するだけでなく、お店の壁やガラスを壊されたりなどの被害もあるようですし、ゴミも多いのでたまったものではないですね。
今年は渋谷区が特別条例をだし、センター街付近は「飲酒禁止」を決めました。
罰則はないものもそういうルールを決めて、渋谷の治安を維持するため個人のモラルに訴えかけたわけですね。
参加した方々の声では「飲酒禁止なので安心してこられた」とか「酔っ払いが少なくなったので絡まれることが少なくてよかった」など肯定的な意見が多かったようでした。
一方でそれでもルールを破る人はいて、
そういう人の中にお酒を公然と飲みながら
「ルールは破るためにあるでしょ」
という人がいてものすごい違和感を感じました。
自分勝手な行動を正当化するためによく考えもしないでこういう意見を堂々と言えるのは恥ずかしくないのでしょうか…
色々なルールがある中で自分の価値観と照らし合わせることが大事
どういう起源がある言い回しかわかりませんが、確かに「ルールは破るためにある」というフレーズを使う人がいます。
でもそれは、破ろうとしている「ルール」よりもより良い「ルール」を提示できる場合に限らないでしょうか?
ルールはやはり守るためにあります。
それを守らないと社会秩序は維持できません。
ですが、理不尽なルールというものはあります。
昔からのルールが時代に合わなくなっていく場合もあります。
自分の中の常識(ルール)に照らし合わせてみておかしいと思うルールもあると思います。
それをよく考えもしないで、自分の身勝手な行動を正当化するためにこういった言い回しを利用するというのは本当に幼稚としか思えません。
日本人はわりと盲目的にルールにしたがってしまう方なので、それもどうかなと思う時はあります。
一方で、自分の価値観(ルール)に則って、自主的に美しい行動をしている若者も渋谷のハロウィーンには来ていたようで、素晴らしいと思いました。
飲酒をしないのはもちろん、渋谷のゴミ問題を聞いて「ゴミ袋を持参」してきたり、「お祭りの後掃除をするために集まった」人たちです。
仮装して渋谷に集まって何が楽しいの?
と否定的に見る人も多いようですが、お祭り感覚ですよね。
うちの子供たちは今年は行きませんでしたが、去年は参加して楽しかったようです。
初めて会った人たちと交流して一緒に写真を撮ったり、その程度です。
ただし、やはり度を越して騒ぐ人が多いと怖くていけませんよね。
お祭りは多くの人が集まる場。
ルールを守って他の人のことを尊重することが大事。
税金を1億円投入して、罰則を設けないといけないお祭りではなく、地元の方にも迷惑をかけない楽しいお祭りとして変わっていけばよいですが…